易経は何のためにあるのか?

 

「あ~~このサッカーチームは易経的には〇〇だなー」

 

4年前。

 

易経を学び始めた頃、Facebookにこんな感じの投稿をよくしていた。

易経(占いじゃないほうね)を学ぶコツである、“摺り合わせ(すりあわせ)”のサンプルに、自分が好きなサッカーを使っていたからだ。

 

摺り合わせとは、自分の仕事や身近な話題、社会現象などと、易経の内容を重ねて考えてみること。

これをやることで、易経を通じて現在の自分の置かれた状況を把握したり、今すべきことに気づくことが可能になる。

 

易経は3000年前に成立した古典で、すべてたとえ話で出来ている。

そのため、摺り合わせをしなければ現代に引き直して使うことができない。

 

今、当時を振り返ってみると、易経を学びたてだったせいか、摺り合わせの精度はあまり良くなかった。

何となくでいいから、とにかく当てはめてしまえと(笑)。

 

で、結構やっていたのが、冒頭に書いたような易経を使った評論、評価の類い。

易経は物事を客観的に観れるツールなので、わりと人や企業の時事ネタを易経で斬れたりする。

だから、易経超駆け出し(笑)の頃は、簡単だからそればかりやっていた。

 

でも、ここ1年ぐらいはそれを表に出すのは抑えるようにしている。

頭に浮かんでもあまりアウトプットをしない。

 

なぜか。

 

私たちが普段触れる情報は、基本的にはマスコミを通して私たちに伝えられる。

俗に言う、第3次、第4次情報というやつだ。

 

となると、そこに現れる内容は、事実よりも発信側の恣意的な解釈に近い。

 

それを易経と摺り合わせることは、そこからのアウトプットも誤認や勘違いを含むものになりはしないか?

 

そんな疑問が自分の中で湧いたから、思いついてもあまり表には出さなくなった。

 

代わりに文章やセミナーで発信するようになったのが、易経を自分の仕事やプライベートと摺り合わせた時の話だ。

このほうが最近は受けがいいんだな(笑)。

 

易経の知恵は、あくまで自分と周囲の人々の助けとして使うもの。

人や組織を批評する道具ではない。

 

4年間でそう思い至った。

 

易経を一部の人のための神秘的で高尚な存在のままにしたくはない。

みんなが自分に活かせる知恵の書として広めたい。

 

そのためには自分事として易経を語るのが大切なのだ。

 

この気づき。

10年、20年先も忘れないようにしておこう。

 

 


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